2015年12月14日

子どもたちにとっての「アプリのある世界」とはなんだろう?

この記事は、「子供」×「アプリ」+「α」 Advent Calendar 2015 の13日目の内容です。
(更新が遅くなってすいません)

10月から新しい職場に赴任し、保育士や幼稚園教諭を目指す人たちが主に通う学科のある四年制大学にて情報教育を担当する大学教員をしています。(それまでは、短期大学で情報教育や情報セキュリティ教育に従事していました。) 前職がキリスト教系の短大だったので、Adventというのもごく普通に入ってきますけれども、今年はあまりにも慌ただしすぎて、まだクリスマスツリーも飾れていません。5歳になる娘が、毎日のようにクリスマスツリーに飾るための自作オーナメントを"わざわざ"用意したり、サンタさんへお手紙を書いたりするのを、日々プレッシャーとして感じる毎日です…(今日も無理でした…)。

ちょうど25日までの13日目ということで、折り返し地点のようなものでもあるので、他の方の素晴らしい記事をまとめて拝読させていただきました。
みなさん、ご自身の子育て経験や、倫理教育に関与された経験、子どもでも気をつけるべき点を先輩としてまとめたもの、などバラエティに富んでいてとても楽しく、ああ、ここにならぶのは少し気がひけるなあとも思ってしまいました(笑)。

そんな中、少し気になったことがあります。それは、子ども×アプリという括りの中で、ほとんどの方が、ゲームアプリを中心としたお話をされていらっしゃることです。
子どもたちが一番多くの時間を使うであろうゲームアプリの話が主流であることは容易に想像できますけども、子どもたちが使うアプリはそれだけではないはずです。
ですから、ここでは少しゲームアプリ以外の話をしたいと思っています。

世のあまりITに精通していない人たちは、プログラムとかを書く人はほとんどみなゲームが大好きと思い込んでいる方が多く見えます。しかし、わたしは学生たちにプログラムを教える仕事を続けてきたにもかかわらず、ゲームが昔から苦手です。そして、ほとんど日常の中でゲームをしない生活を送っています。

ゲームやゲームをする人を毛嫌いしたりはしたことはありません。単純に、わたしが不得意なのでやらないだけです。本当に不得意でいいスコアが出せたためしがありません。いろんなゲームを経験してみましたが、ゲームは基本的に時間制限を設けられるものが大多数かと思います。あの、時間制限がかなり苦手で、頭がパニックになり物事を順序立てて考えられなくなります。空間把握も幼い頃から苦手で、テトリスのような誰でもできそうなものでもすぐに負けるので、当然避けるようになります…。これまででまともにハイスコアが出せたゲームは、タイピングゲームぐらいですよ…そんなわけで、ゲームが苦手なのでやらない、というわけです。ゲームをやらなくても誰にもなにも言われませんから(笑)、まったく困ったことはありませんよ。
ちなみに、実はアプリに限らず、いわゆるアナログのゲーム全般も苦手です…オセロをあっさり小学生に負けるレベルですから年季入ってます(笑)。なぜ、皆さんサクサクとゲームをこなすのか、わたしには不思議でなりません。

そんなわけで、わたしのスマートフォンにもパソコンにもゲームアプリは入っていません。
それでも、わが子は時々スマートフォンやパソコンを貸して欲しいといいます。
youtubeアプリすらなくしてしまっていてw、ほとんど標準のアプリとお仕事的なものしか入れてないのですけれども、子どもは(どの子も)遊びの天才なので既存のアプリで遊ぶのだなあと感心してます。
よく遊んでいるアプリ
  ・カメラ(自分で撮影)
  ・撮影済みの動画閲覧(昔のビデオ大好きw)
  ・時計(世界時計をみたりストップウォッチで遊んだり謎のアラーム設定されたりw)
  ・メモ(フリック入力や音声入力で謎のキーワードが…w)
  ・電卓(計算の勉強と称して電卓で変な数字やエラーを出す遊び)

大体こんなところでしょうか。
電卓アプリについては、最近、ねとらぼで、http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1512/02/news120.html
こんな記事もありましたが、わが子はどうやら0で割るとエラーになるというのをつかみ始めている様子です(笑)。
その延長なのかわかりませんが、なぜか最近はスマートフォンじゃない普通の電卓が欲しいといいます。理由を聞くと、同じようにエラーと表示されるかどうかを気にしているようです…いったいなんなんだか…(笑)。

しかし、電卓アプリを先に体験して、その後からアプリではない機械がどう反応するのか(差異はあるのか)を気にしてくる点は、とても面白いとも言えるでしょう。同じようなことは他にもあって、例えば、鉛筆でひらがなを覚えるより先に、フリック入力を覚えてしまったわが子は、ひらがなを鉛筆で書くためにスマートフォンやパソコンの文字盤の文字を見ながら書いたりします。さながら漢字を忘れた高校生がスマートフォンで変換して書くのと同じことをするわけです。

いわば、アナログより先にデジタルを使う。
こんな現象が、実はわが子に限らず、今の子どもたちのまわりでは普通に発生しています。文字を「書く」行為も、絵を「描く」行為も、実はアプリでならば鉛筆を握る握力がついてなくても行為は可能になります。そういう環境下で今の子たちは生きていて、デジタルの世界にごく普通に入り込み、それが当たり前の世界で生きているわけです。子どもたちを育てる親であるわれわれは大多数がまだこのデジタルの方が先の世界を体験していないわけですから、戸惑うのも当たり前ではないでしょうか。

デジタルが先でアナログが後、という今の多くの子どもたちにとって、もう一つ大事なことは、その両者に境目がないという感覚かもしれません。境界線を意識していない/意識できない人たちに、デジタルとアナログの相違を教えていくのはかなり難しいのではないかと、最近考えるようになりました。わたし自身はデジタルとアナログの双方の違いを日々認識しながら生きていますけれども、わが子はそれをあまり感じてはいない。双方の境界線が曖昧な世界で生きている子どもたちに対する教育については、双方の違いを教えていくのではなく、両者のそれぞれの特性を生かしてなにができてなにをするのがまずいのかを実感させていく方が効果的ではないかと考えています。これについては、もっといろんな方のご意見をお聞きしつつ、実証していく必要があるでしょう。

幼児教育の世界では、幼児期における直接体験がとても重要視されており、それがゆえにデジタルな世界の話を含めることに一定の抵抗がある時代も長く続きました。しかし、今の子どもたちが置かれている環境は先にデジタルの世界での体験があり、アナログとの境目がない状況で生きていることを考えれば、デジタルなものの見方を直接体験に結びつけていくことで、子どもたちの創造性をさらに伸ばしていくことは可能だともいえます。すでに先進的な幼児教育施設の取り組み事例も多数報告されていますけれども、手軽なアプリで多くの保育士幼稚園教諭たちがそれらを正規の保育/教育カリキュラムの中で実施していくことがこれから求められていくでしょう。そのために、養成校の教員としてなにができるかを日々考えて、教育過程の中に落とし込んでいます。子どもたちが生まれて初めて出会う"先生"が、デジタルな世界の楽しさを適切に教えられるようになることが、わたしの理想でもあります。
その中で、もちろん情報モラルを含むセキュリティについても教えられるようになって欲しいと願っています。子どもたちの生育環境を守りサポートすることも幼児教育の使命だからです。そういう意味においても、幼児教育に従事するすべての人々が、その力を十二分に発揮できるような体制が整備されることを願っています(そしてそれが可能になるような行動をしていくつもりです)。

Adventの3本目のろうそくは、羊飼いのキャンドルと言われ、喜びを表すとされています。
子どもたちにとって、アプリがある世界が喜びで満たされますことを祈っています。

posted by はなだせんせ at 00:48| 群馬 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報教育関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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